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May 22, 2023

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[1/2] BYD Atto 3 EV 自動車は、2022 年 11 月 30 日、タイのバンコクで開催される第 39 回タイ国際モーターエキスポで展示されます。ロイター/Athit Perawongmetha/File Photo バンコク、7 月 10 日 (ロイター) -

[1/2]2022年11月30日、タイのバンコクで開催される第39回タイ国際モーターエキスポで展示されるBYD Atto 3 EV車。ロイター/Athit Perawongmetha/File Photo

バンコク、7月10日(ロイター) - タイのサイアム・モーターズは1962年に日産自動車(7201.T)と提携し、1日あたり4台の車を生産する工場を設立し、日本企業との数十年にわたる収益性の高い関係を築いた。自動車ディーラーから自動車のパイオニアへ。

しかし、その成功を背景に年間収益を70億ドルにまで伸ばしたタイの家族経営グループは現在、別の場所にチャンスを求めている。

サイアム・モーターズは、特に高級電気自動車に関する提携の可能性について複数の中国自動車メーカーと協議していると副社長のセバスチャン・デュプイ氏がインタビューで述べ、これまで報道されていない協議について言及した。

同氏は「EVは成長の素晴らしいポケットになるだろう」と語った。 「そのために成長している市場があり、私たちはその成長を捉えたいと考えています。」

サイアム・モーターズの立場は、タイで進行中の急速な変化を反映しており、同国では2020年以来、BYD(002594.SZ)や長城汽車(601633.SS)を含む14億4000万ドル相当の中国投資が、歴史的に日本の自動車メーカーが市場に新たな戦線を切り開いてきた。支配された。

登録データや業界関係者、アナリストによると、日本の自動車メーカーは、中国での販売危機の直後に、EVに対する遅攻的なアプローチのせいで、もう一つの主要なアジア市場を巡る戦いに直面しているという。

中国の波はすでにタイの自動車産業を再構築し始めており、中国のEVメーカーがサプライヤーを引き入れ、サイアムモーターズのような日本企業と長年のつながりを持つ企業を含むタイの地元企業が新たな提携を模索している。

タイは東南アジア最大の自動車生産・輸出国であり、インドネシアに次ぐ第2位の販売市場である。 日本の自動車メーカーは、何十年もの間、自動車をほぼ自国市場の延長として扱ってきたほど、圧倒的な存在感を示している。

しかし、中国のEV生産者を誘致しようとするタイ当局の協調的な取り組みのなか、2024年に稼働予定の新工場へのBYDの投資が後押しし、中国は昨年日本を抜き、タイのトップの外国投資家となった。

中国の自動車メーカーが輸出を増やし、電気自動車の国内市場の競争が激化したことへの対応として海外生産拠点を構築する中、タイの移行は他国経済にとってテストケースとなる。

例えば欧州では、現地でのEV生産を支援する政策がまだ具体化しつつあるが、中国の自動車メーカーもまた、EVが現在全体の売上高のほぼ5分の1を占める市場に大きく進出している。

バンコク在住のパシット・チャンタロジョンさんは、今年万里の長城のオラ・グッド・キャットに乗り換えるまで、10年半トヨタ・カローラを運転していた。

「もう内燃機関車には戻れない」と、配車サービスでパートタイムで運転もしているこの55歳の教師は語った。

政府のデータによると、昨年タイで登録された新車約85万台のうちEVはわずか約1%だった。 しかし、今年1月から4月にかけて、その割合は6%以上に上昇した。

登録データによると、1月から4月の間に1万8481台のEVが販売されたことを示す登録データによると、BYDが現在市場リーダーであり、中国の上海汽車(SAIC)(600104.SS)とホーゾン、米国の自動車メーカーテスラ(TSLA.O)がこれに続く。

そのうち7,300台以上がBYD車だった。 今年新規登録されたEVはトヨタ(7203.T)からわずか11台にとどまった。トヨタはタイの有力ブランドで、提携先のいすゞ(7202.T)やホンダ(7267.T)と合わせて昨年の乗用車・トラック全体の販売台数のほぼ70%を占めた。タイで。

野村総合研究所タイコンサルティング部門の主任山本肇氏は、中国ブランドは手頃な価格のEVを提供することで、今後10年間で日本から少なくとも15パーセントポイントのシェアを奪える可能性があると述べた。

「日本人は一部のプレミアム層しかターゲットにできない」と山本氏は言う。

トヨタはグループ企業とともに過去10年間でタイに70億ドル近くを投資し、約27万5000人の従業員を抱えているが、声明でロイターに対し、同国でのEV生産を検討していると初めて公式に認めたと述べた。